哲学的文芸論とは何か?

世界初・プラトン主義文芸論による公共哲学の文芸論的基礎

「政の大體は、文を興し、武を振ひ、農を勵ますの三つに在り。其他百般の事務は皆此の三つの物を助くるの具也。」(南州翁遺訓、三)

哲学的文芸論とは、

科学の限界と閉塞感を超克し公的言論での文芸復興のために

①意味が決定不可能な作品の真の価値を理解する方法。

②無限の価値を創り出すための詩作法。

③文芸論的に思索した思想の生き方への応用。

④哲学と文芸による神学的思考のためのプラトン主義の立場に立った近代的神学理論

を示した宗教と倫理の極限的概念としての文芸とは何かを追求し、公共生活の基礎となる哲学的な文芸論です。比較宗教学の日本精神への拡大を説き、詩という文芸の無教会主義実践における日本的な理論的根拠を示し、東洋哲学や夏目漱石等の明治以降の日本文学を基にして無教会主義との関係におけるプラトン主義文芸論の立場からルソー の市民宗教の神学的主題(自由で公共的な宗教の比較宗教的基礎)を検討し、東洋精神との関係における新しい宗教の文芸論的根拠とは何かを説きました。

「神の世界に対するアウシュビッツ以後の野蛮な言論の世界で、文芸的根拠を失った「合理的対話可能性」の民主主義の言論は、自分達自身の問題や関心は何かを知るための比喩=文芸によるレトリック作用やメタ認知能力が低下してしまっていた。公的言論での文芸復興はいかにして可能なのか、そのために何をどのように書いたら良いか?本稿では、パズルや推理小説の探偵の推理よりもより良い推理を可能にし、社会の関心や問題は何かを知り、それを日本哲学により幾何学的に解くための方法と文章に表現するための書き方が示されている。」(「物を書く」本文より)

本稿は文芸の哲学的基礎としてプラトンのイデア(超感性的実在という矛盾した存在)とは何かを巡って、代表的日本哲学者である京都学派の西田幾多郎の哲学を基礎として純粋経験から始めて公理論的立場に立ち仮説的推論からイデアの認識に至る方法を採っている。さらに、西田哲学は敬虔なピューリタニズムのプラグマティズムからスタートするため、本稿は西田幾多郎所縁の内村鑑三に始まる無教会主義のキリスト教思想にも通じている(無教会主義は日本精神の霊性的自覚(「日本的霊性」、鈴木大拙)に最も一致した日本最大のプロテスタンティズム教派である。日本民族は日本精神を媒介として無教会主義と一致しており、日本民族は例外を除けば全員が無教会主義者だったのである。)。宗教のためには倫理が必要だが、本稿、すなわち哲学的文芸論は、地獄からの救済となる宗教と倫理の理念的実在性という満足できる知足の標準である科学を超えた限界的な象徴的作用素の霊性的根拠(幾何学的基礎の更なる哲学的根底)となる有徳な市民のための文芸論なのである。」(「物を書く」本文より)

テキストの紹介

「物を書く」(¥213。哲学的文芸論入門) で扱われる主な論点
①テクストから課金が発生する仕組みはどのようになっているか
② 論理はいかにして芸術となるか?(道教・老子や神道等の日本やその他の東洋思想、西田幾多郎との比較。)
③ 本当に多様なものを単一の伝統により統一できるのか?(→哲学的文芸論の独自の解決。新批評との比較。)
④大衆文学とは何か?(日本文学史と西洋文学史の比較。)
⑤無教会主義とは何か?(無教会派と世界各国のキリスト教派との比較。)
文芸作品の意味と聖書の意味

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