テクストの経済物理学

 読者は書物から何を得ることができるのか?テクストの価値を科学的に知ることはできるのか?読書は象徴の森での万物照応であり、神社巡りのように、精神世界の幸福への旅である。文芸作品の内容を知る行為には、宝島での宝探しや不思議の国のアリスの冒険のように、三位一体的な象徴的構造による読者とメタ的実体との一致のための道筋が用意されている。作品の良し悪しは読書の選好により決まっている。読者が作品を購入するのは作者と読者の過去からの消費選好の一致である。大衆文芸では作者の欲望への読者の共感が重視されている。

 ヘーゲルにより市民社会は欲望の体系といわれ、欲望即ち文芸作品の消費性向を知ることが、自分自身の作品の更なる向上に繋がり、他者の欲望を見ることができること自体が楽しみである場合があるのである。書くことができるのは読んだことがあったからであり、コトラーの顧客志向マーケティングでも消費者の選好に基づきカスタマイズすることが重視されている。

 テクストには経済物理的基礎があり、それこそが、テクストの価値の根拠となっている。本稿ではテクストの読者にとっての価値とは何かを、社会学や経済物理学によって科学的に探究し、ハイパーテクストを含めた情報としてのテクストの科学的・芸術的な価値に迫った。

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 経営工学的には、テクストに対する課金は、読者の作者のテクストのシステムを維持するためのシステムからの費用負担の配賦額である。そのため、テクストというシステムは、システムとして環境から自律的に存在し、読者はそれに読者が関与しただけで、システムからの費用負担の配賦が行われることになっているのである。経済的意義のテクストにおける作者と読者との関係は欲望の二重一致により規定されている。テクストとは作者が幸福であるという欲望を充足する方法を示したハウツー本である。すなわち、読者は作者のテクストの中に求める知識や知恵があることを仮定し、作者はその欲望の実現度合いに応じて、費用負担の配賦を行っているのである。ラカン派精神分析は自分の欲望は同時に他者の欲望であると述べているが、作品に体現される作者の欲望は、既に他者からの承認に基づき成立したものであるため、科学的な一般的概念の範囲内では、必ず情報価値が発生する。テクストの根底には自己と他者の相互承認という社会的根拠があり、テクストの社会的認知の範囲は、作者の欲望の普遍的な人類史的意義により定まるものである。

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