亀は万年

 何も書くべきことがない空白期間の発生は自分自身の抑圧であり自分自身の欲望の欲求段階的限界点の検出である。ニーチェは欲望とは力への意志や世界という書物の解釈であると述べたが、自分自身の中の制約はより高い欲望の存在をも暗示してもいる。または、いわば自分自身の欲望の中間化がより大きな欲望からの退行を引き起こす場合は自分自身の精神的な倒錯が発生してしまっている。


 しかし、危機こそチャンスだとするとなら、何も書くべきことがないからこそ人間は書くことができる。自分自身の中で外化された自分自身こそが自分自身の創造性の本質的根拠であり、その本質的な創造性により書くことは改めて可能になる。空白期間という無の中に精神的実体はあり、無を元にして自己を超越して人間は創造的精神的に作用するのである。


 外部に対して単純に抵抗するだけでは本質的な成長はなくなり同じことの繰り返しになり抵抗を乗り越えることも出来なくなってしまうとサブリミナル効果の中で精神は欺瞞されて記号の戯れの中に閉じ込められてしまう。しかし、精神的な真の成長こそが単純な物理的抵抗を超克して自己を前進させる精神的作用として作用し、精神的作用と物理的抵抗のディアレクティケーによって人間は本質探求という哲学的主題を解決することになる。物理的抵抗は精神的作用を超えることはできず精神的作用と物理的抵抗は正にアキレスと亀の関係にある。人間自身の本質探求は人間自身の精神的自律による人間自身の救済なのである。


 プラトンは人間はイデアについて忘却しているが想起することにより幾何学的にイデアを認識することができるようになると考えていた。精神的自律のための自己自身の本質探求はプラトンのイデアの想起説と同じである。人間は自分自身の変化という記号の戯れのサイクルから解脱し現実の真の人生に戻るためには社会的忘却を乗り越えて非連続的連続の中で自分自身の創造性という自分自身の本質的根拠を探求して物理的抵抗を凌駕して前進し続けることになる。


 自分自身の外化により発生した自己という抑圧されていた当のものこそが自分自身の本質的な創造性であり、自己それ自体が自分自身の本質探求という公理論的哲学による謎解きの手がかりや証拠となる情報なのである。自己の抑圧は自分自身の外部を暗示するものであるが、同時に自己の本質的創造性はそうした外部を説得するための説喩としても作用する。


 何も書くことがない空白期間にこそ人間の精神的成長は存在している。空白期間という無の中にこそ自分自身が知るべきことがイデアのように予め運命的に全て含まれている。外部への依存を解消し自律して無により自分自身の世界を拡張して精神的に前進することこそがメタフィジックなのである。(2025.5.11.筆者記。)

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