国際経済のヒエラルキーはいかにして変化するか?



 原油や石油の価格が高騰し、先進国では、軒並み補助金が支給され、中産階級が物価上昇に適応できるように苦心しているようである。


 補助金を支給すれば、当然国家への依存を引き起こし、必要になった多額の予算は、税金を上昇させたり、財政を逼迫させ、将来の負担を増加させることになってしまう。[*日本でもガソリンの価格高騰に対して補助金を支給してきていたが、2023年の九月からは補助金の段階的廃止が決定している。]


 産業が国家へ依存することは、経済と物理的力の折衷を図り対話を中心にしない限りは、一国の産業を、中国のように国際経済から脱落させてしまい、統制的経済により経済成長は鈍化してしまう。先進国なら、産業の生産性を中進国や新興国へとシフトさせてしまい産業の空洞化を引き起こすことになる。


 先進国と後進国の南北問題をどのように解決するかという究極的な社会選択を巡って、ハーディンの救命ボートの倫理という思考実験があり、後進国は先進国の犠牲になるだけだとされていたが、産業の変化の歴史法則によれば、産業の発達と共に先進国は後進国へ依存を強めてしまうため、事実は全く逆なのである。


 しかしながら、救命ボートの倫理は現実には覆され、国際分業体制は変容を来たしてしまうようだが、先進国では、AIの産業への拡大のように、後進国にはない更なる変化が既に発生しているのである。補助金の支給もたしかに必要だが、先端技術の産業への応用や代替可能エネルギーの拡大が進んでいれば、補助金の分を将来リスクとして後続世代に転嫁せずに、前向きに社会や産業の変化へ適応できていたのではないか。


 経済問題に関する社会選択を倫理的問題と捉える規範的議論は、真実の意味での国際分業の現実を度外視し、AIのような国際的分業体制における優位性を維持するための戦略的根拠を持つことには消極的であった。そのことにより、例えば日本のように、温室効果ガスを排出する石油やガソリンという負の要因をいつまでも断ち切れなくなってしまっている。

 経営の質を重視することによりリスクを回避し、先進国としての国際的競争力を維持しようという発想が全く欠落しているのでは、いつまでも社会は変化せず、進歩することもない。凪いだ海には救命ボートの倫理問題は発生しようがないため擬似問題であり、補助金を支給するだけの一国統制経済下の国民は、精神現象学のヘーゲルが述べている通り、精神も人倫も無くなってしまうことで、非人倫的国家を作り出してしまうのである。(2023.8.29.筆者記。)

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