No.16.2023.8.18 日本はロシアに戦わずして勝利した。ロシアの将官が日本等の経済制裁により亡くなったという。国家同士の対立を解決するのは、コースの定理により示されているように、経済学的根拠のある交渉力による妥協であるとされていたが、お金は、平和的解決に至らしめるどころか、制裁が完徹され、相手方を打ちまかし一軍の将を消し去ってしまった。
No.15.2023.8.17 コトラーはマーケティング4.0からは人間主義の倫理感を重視したマーケティング理論を提唱しているが、ポーは『詩の原理』の中でコトラーと同じような理論的問題を検討している。その中で、ポーは、倫理感だけでなく、感情についても検討している。人間は確かに、倫理感を重視すれば福祉を向上させることができる。ベーシックイングリッシュで有名なリチャーズは、言葉には感情喚起力がある述べたが、ポーの考えからすれば、実は潜在的な感情を表現する言葉の感情喚起力の方が、人間の実際的な幸福な人生の獲得に通じている。倫理感は一般的で悟性的な常識的な考えが多数派になり易いが、倫理感の根拠にあるのは人間の深層世界に通じる宗教であり、コトラーのマーケティング理論は、詩人から見れば限界があるのである。アメリカ人の成功哲学は私的領域で成功したら公的領域で活躍し自己実現するという立身出世の考え方が強いが、同じアメリカ人でも、詩人の実感の方が、神の見えざる手と一致し、経済活動には好都合であり、宗教の神こそが、アメリカ人の目指す人種を超えた万民救済の福音の実現という公的な人間的意義なのである。幸福になるために人間の深層心理にある欲望(裁定取引=情報価値=宗教)を重視する成功哲学には、ナポレオン・ヒルの成功哲学があるが、成功哲学がマーケティング理論を凌ぐことになるだろう。
No.14.2023.8.16 発展途上国では農業依存度が大きく、日本の近代化プロセスでは、一次産業を中心とした経済から脱して、殖産興業することが目的になった。南部の発展途上国を脱して北部の先進国・新興国入りをしても、新興国政府は政策的に農業の自由化により貧困の原因である農業依存度を高めようとしていることは、日本政府でも同様であり、吉田茂元総理が危惧した日本の農業国家化の危機であり、開発経済学の問題でもある。日本の農業の自由化は兼業や外国人(中国人・朝鮮人、フィリピン)への依存度を高めているとされているが、食糧自給率が低下し効率化したとは見做されない状況である。国家は危機管理というリスクへの対応のためにあるものなのだから、貧困のリスクは全て国家が管理すれば良い。日本の農業が10万人程度で成り立っているのなら、日本における農業の自由化は殖産興業の精神からの退行であり、農業依存度は低い方が良いのであり、全国の農業事業体の更なる機械化と統合化、国有化のための法制化は必須であるだろう。
No.13.2023.8.15 マイナス金利状態が続いていた日本だが不動産物価指数は龍のように伸び続けていた。米では利上げが本格的に行われていたが、物価が上昇し不動産を手放す人が出てきているという。日本では上流階級と中産階級の利害は一致するが、米では上流と中流は対立する傾向がある。それは米社会における中産階級の不安定性が原因であるのかもしれない。孤立主義は内向きの中産階級の拡大を生じるが米ではまだ日本と異なりミドルパワーは弱く中産階級の平和は実現していない。家はオイコノミアという経済の象徴であり、家とローンは21世紀初頭の歴史で社会動向を左右する重大な指標になったが、家は単なる資産ではなく金利との関係が重要であり、また単なる資産と捉えるか投資収入源と捉えるかでも社会での地位も様々である。
No.12.2023.8.14 大衆小説の問題は、それが政治的過ぎることであり、肝心の経済的利益を蔑ろにしてしまうからである。夏休みの音楽フェスや夏祭りのように、人が多く集まる場所では事故が起きやすい。広場恐怖症と言って、外出が多くなると、広場のような公共の場所に行くことが強迫的観念やギャンブル依存症という生活習慣病のような症状を引き起こし、日常生活にも支障を来たすという。人間は名誉欲から、多様性を許容する公共空間で、売名的行為を行なってしまうが、そのことによる空間の情報エントロピーの増大は、社会心理の混乱を引き起こし、多数の人を巻き添えにしてしまうのである。マキャベリは「君主論」の中で、大衆に関わることが人に名声を齎らすと述べているが、その反面として、大衆に関わってもコントロールを失えば、経済学的にはリスク扱いにもなってしまうのである。広場は古代ギリシアでは政治と経済が接し議論を行うための場所だったが、経済活動のためには、オイコノミアのための場所である家の中が重視される。また、経済活動のためには、売名行為を行う必要はなく、大衆との関わりは返って損害になってしまうこともある。貨幣は家の象徴であり、神の見えざる手の神学である経済学は家の中に居るだけで行うことができる学問なのである。